私の上京物語②

私が上京してきた時から、親からは自立でした。親からの仕送りはゼロ。専門学校への進学で東京に出てきた訳ですが、新聞奨学生という制度でした。今もあると思いますが、新聞社に学費を立て替えてもらい、朝刊と夕刊の配達、担当区域の集金まで全て行ない、自分の場合は2年制の専門学校でしたので2年の勤務を終えて、奨学金の返済は要らないといった制度です。

新幹線を利用し、東京に降り立って、慣れない土地のなか、地図を頼りにお世話になる新聞販売所へたどり着き。

勤務地は、恵比寿でした。新聞販売所の2階に個室が用意されて、部屋のスペースは約3疊ぐらいだったと思います。

田舎での生活とは、もう凄い違いでした。田舎は電車は1時間か2時間に1本、東京はラッシュ時の山手線などは2~3分おきぐらいには電車が入ってきて、しかも満員電車。

東京に着いたその日は、販売所では歓迎会があり、まだ全然飲みなれていない、お酒を口にして、酔っ払い、その後店の同僚となる人と銭湯へ。気持ち悪くなり、そこで吐いたような記憶が。東京で自分の力で生きていくんだ。と覚悟を決めてスタートをきった夜でした。

翌朝から早速、仕事を覚える為に早朝3時に起床。二日酔いのまま、先輩に付いて配達の順路などを教えてもらい。新聞配達は自分は小学校位から田舎でしてはいたので、全く初めてではありませんが、田舎でのそれとは全く違い、担当区域の軒数は250軒前後、配達時間だけで2時間弱。慣れるまでは時間がかかりました。大変だったなあと思うのは、東京に大雪が降った時です。バイクでしたが、途中バイクを手で押したり、いつもの倍以上の時間がかかり。

生活パターンとしては朝は3時頃には起きて、折り込みチラシを新聞に挟んで、バイクに乗り切らないのは、梱包して朝刊配達へ。配達が終わると販売所で朝食、そして学校へ行き、14時位に終わって、他の学生は遊びに行くなかすぐに帰って、夕刊の配達。夕ご飯を食べてから、自分の自由時間といったかんじでした。

当時は、携帯電話などなかったですし、たまに実家に電話する時は、10円玉をいっぱい持って、公衆電話から電話したものです、懐かしい。

私のこの経験が、果たして苦労と言えるか分かりませんが、自分は凄く良い経験となりました。

上京した時は、ほんと何も無かった、僅かな着替えと、あとは東京に出る前に自分でバイトしたお金と、田舎に住む姉夫婦と、おばあちゃんからの餞別を合わせて5万円ぐらいのお金だけ。

東京に出させてくれた親には感謝しかありません。

一つ言えるのは、私が歩んできた道のりには一切の悔いはない。東京に出てきて良かったと思います。そこからまた、ほんと色々な経験を経て、今の自分がいる。

またいつか、今までの色々と経験した話しなどを。

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