④幼い頃の記憶
6人家族の末っ子としてごく普通の家庭に生まれた私。父親が自衛隊を退職してからは民間の会社に勤め、母親はパートという共働きでした。
私が何歳位の時にかなあ、たぶん2歳とか3歳位だったと思います。母親が働きに行く時に、私は近所のあるおばあちゃんの家に預けられる事がたまにありました。
血の繋がりはない近所のおばあちゃんの家です。朝そこの家に母親に連れて行かれて、母親の「じゃあお願いしますね。」と、職場へ行く為に別れる時に、「嫌だ、嫌だ」と泣きじゃくり、そのおばあちゃん家にいる間もたぶん不機嫌で、あの時はたまらなく嫌だったなあ。しかし、母親にすれば仕事に行く為に致し方なかった事だと思います。
3歳になると保育所に入る事となりましたが、その当時も母親はパートで働いていたため、周りの家庭では行きと帰りに親や祖父母の方が送り迎えする家が多いなか、私はいつも行きも帰りも1人だったような記憶が。今思えば幼いながら雨の日も雪降る日もよく通ったものです。
自宅からどれくらいの距離だったか、だいたい片道1km位あるかないかの距離でしたが、小さな体にはまあまあの距離に感じました。
そのような環境に育ったこともあってか、我慢強い子供に育ったように思います。
そのように育ったことにも、預かってくれたおばあちゃんにも、今となっては全てに感謝の気持ちです。